すばるくんの生存確認、安堵と寂しさと
すばるくんのウェブサイトを見た。
“渋谷すばるです。”というなシンプルな文字と、東南アジアのどこかを旅する映像。
簡潔な挨拶文と、ファンに向けた “愛してます” の言葉。
全てが、すばるくんらしいなと感じられる潔さ。
映像の中のすばるくんは、少し痩せて、最後の関ジャムで見た姿とは雰囲気も変わっていたけれど、とても良い顔をしていた。
あのままアイドルとして多忙な日々を過ごしていたら、決して見ることのなかった景色を見て、聞くことのなかった音を聞いて、風を感じて、知らない人々の生活に触れて。
生きていることを楽しんでいる、そんなふうに見えた。
アーティスト『渋谷すばる』の第一歩。
うん、良かった。本当に。安堵の思い。
一方で、もう関ジャニ∞ではないという現実に、寂しさも感じた。
全く一人で出ていくわけなくて信頼できるスタッフがいて年が明けたら動きがあるんだろうなと漠然と思っていたから驚きはない。少し痩せた気もするけど何にも囚われず人生を楽しんでいる感じがして良かったと思う反面、メンバーも、特に丸ちゃんも動画見たのかなと考えると、胸の奥の方が痛いよね。
— じゅね∞ (@junemaru3) 2019年2月28日
すばるくんが一人でいる自由を選んだということは、共に支え合う仲間を手放したということでもあるわけで。
生き生きとしたすばるくんの姿の向こうに、あの日からの関ジャニ∞の姿を、つい思い出す。
関ジャニ∞はライブツアーをやり遂げ、先へと進んでいるのかもしれないけど、私はついこの間メイキングを見たところだったから。
メイキングをメイクする余裕のない丸山くん。ベースの演奏に不安をみせたり、すばるくんの歌パートを失敗して落ち込む姿を見せたり。
雑誌のインタビューでも気になったことがあって。
すばるくんが関ジャニ∞を抜けたことについて、漏れ出す独自の色気を、関ジャニ∞で吐き出して迷惑かける前に、よそで出してくるわという感じだったと語った丸山くん。
えぇそういう解釈なの、と。丸山くんはどういう気持ちでそう言ってるの、と。その言葉の奥にある本心はなんだろうとか。行定監督の前でも泣いたって言ってたし、とか。
こんな感じで呟いてた。
ananでのすばるくんの話題。古傷が疼くような感じがしたなぁ。自分が寂しいからというより、丸ちゃんの口からすばるくんの名前が出たときに、雑誌でもその時の丸ちゃんの表情や声色を想像して言葉の真意を探ろうとするからなんだと分かったわ。
— じゅね∞ (@junemaru3) 2019年2月20日
前回の、行定監督の前で丸ちゃんが泣いていたということがボディブローのように効いてくる。
— じゅね∞ (@junemaru3) 2019年2月20日
本当の気持ちなんて分かりっこないし、自分の想像したいように想像している、ということも理解しているんだけど。
いろんなことが、思いの外、自分の中で消化できていなかったみたいで、すばるくんの映像を見た晩、お風呂で声をあげて泣いた。
安堵と寂しさでぐちゃぐちゃになりながら。
で、泣いたらちょっとすっきりした。気がする。
音楽の勉強もして、語学も学んで、実現したかった自分に近づいていますか、すばるくん。
すばるくんの音楽を、待っている人がたくさんいる。だから必ず、すばるくんの音楽を届けてね。
楽しみに待っているよ。